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失敗には,許されるものと許されないものがある

 新しく何かを開発する過程において,失敗はつきものだ。だから,失敗を恐れてはいけない,また失敗を責めてはいけないということがよく言われる。しかし,だからといって失敗ばかりしていていいというものでもない。限られた時間や資源の中で最善を尽くさなければ,開発する意味が無い。
 そんな中で,失敗には許されるものと許されないものがあると思う。

 まず,私は以前の仕事で,とあるインバータ回路を扱っていた。しかしそのインバータ回路は,スイッチング素子の短絡動作により,故障する事がしばしばあった。
 その頻度は不良率としてはすこし多すぎるため,製品のリニューアルを機に,故障原因の調査を行った。具体的な原因としてはいくつか項目があったのだが,決定的だったのは回路インピーダンスの影響であった。

 特にスイッチング周波数が高いわけでもなく,いわゆる普通の電気機器ではまずあまり問題にならないと思われるのだが,我々の扱う機器が常識をはるかに超えるような大電流だということが災いした。つまり大電流であるがゆえに,回路のインダクタンスがそれほど高くなくても,動作時に大きなスパイク電圧が発生したり,電源電圧の降下で制御回路が誤動作したりという事が起こってしまっていたのだ。
 結局その問題は,スイッチングのデッドタイムを長くし,スイッチング波形もなまらせてスパイクの発生を低減し,また大電流回路の配線を,太いなりにもなるべくループ面積を小さくして回路インピーダンスを小さくする事で,一応は改善された。

 現在では,ここ数年でほとんどの電子回路が高周波化し,また電子機器同士のノイズ干渉,いわゆる EMC を考慮した設計などが当たり前になり,回路インピーダンスやスイッチング技術,またノイズや誤動作に関する対策などのノウハウがかなり蓄積され,一般化されている。しかし,それは私が設計の仕事をし出すころに,やっと一般の電子設計技術者に情報が普及し始めた頃であり,しかもまさか高周波回路でもないその装置に,そのような検討が必要だとは思いもしなかっただろう。実際,半導体による大電流スイッチングは,その後ハイブリッドカーやEVの開発によって本格的に技術が蓄積して行き,それについての書籍なども目に付くようになってきた。
 だから,その失敗は設計当初から予測できたものとは思えないし,そのインバータを初めに設計した前任者を責められたものではない。それどころか,スパイク対策としてのスナバ・コンデンサも取り付けられていたし,配線の一部にバスバーを採用するなど,インバータとして最低限の工夫はされていたので,大したものだと思う。
 このような失敗は,許されるものだ。



 一方,現在の仕事にかかわるのであまり明言は出来ないのだが,少し特殊なキロボルト級の昇圧回路を扱っている。この昇圧回路はほとんどの装置に,多少の出力の違いはあるが同じような構造のものが使用されており,製品の心臓部ともいえる重要なものだ。しかしそのほぼ半数が,社内検査の時点で故障または誤動作するという不具合がある。
 あるとき,あまりにもあからさまに出力がおかしいものがあったので,その内部を調査した事があった。すると,非常に大きな電界が発生する形で電線と金属が接近している部分があった。また,回路部品の固定方法なども,ほとんどの部分で高圧用の碍子や基板などを使用していない,お粗末なものだった。
 案の定,内部の電線の被覆材質を安価なものに変更したロットが一時期あり,そのロットで電界のきつくなった部分で電線が絶縁破壊されて放電するという不具合が相次いだことがあった。

 装置の性質上特殊とはいえ,高圧であっても大出力というわけではなく,またこの昇圧回路自体はもうすでに様々なところで使われている技術であり,さらに高圧なものも他の用途の装置には見られていたりする。
 コスト削減のためなのかもしれないが,製品の性質上そう簡単に故障する事は許されない部分であり,また場合によっては安全性にもかかわるような重要な部分である。装置全体から見れば,これは基本性能を実現するための一部でしかない。装置の機能によくわからない不具合があり,結局原因をつきつめてみるとこの回路の不安定さが原因となっていたということも多々あるので,リスクを犯してまで独自設計とする必要性は,全くといっていいほど無い。
 たいしたノウハウも無く,既存の技術もよく調査せずに開発を進めれば,それは失敗するのも当然である。しかもその失敗は,世の中にはいくらでもあるであろう事例であり,何か新たなノウハウとして提供できるものでも何でもない。これは許されざる失敗と言える。
 他にも全く新たな開発とは言っても,ただ機能する事だけを考え,作業性や安全性,最低限必要な余裕などを全く検討しなかったために起きてしまった失敗も,許されざるべきものだ。



 私は大学では機械工学を学んでいたのだが,製図の先生に言われた言葉が,今でも私の仕事をする上で,また仕事だけでなくても,大げさだが生きるうえでの一つの指針になっている。
 それは私が画いていた図面が,寸法線をはみ出したり,中心線を必要以上に長く画いていた事を指摘したときに言われた。

「線をはみ出して画いたり,見にくい図面を画くというのは,思想がないという事なんですよ。自分がどのように形を作りたいのか,どの部分が重要なのかを考えて画けば,また間違って作って欲しくないという気持ちがあれば,もっと丁寧な図面になるはずなんですよ。」

 私はその一言に,目から鱗が落ちた。つまり間違えたり失敗したりして,それがたとえ不注意によるものであったとしても,そこに自分なりの思想,言い換えればこれだけは絶対に押さえておかなければならないというポリシーや哲学があれば,そういったことは起こらないはずという場合が多々あるのだ。
 図面は工業の上での言葉のようなものだ。わかりにくい図面というのは,それは言葉が雑であったり独り言を言っているのと同じ事なのだ。相手に伝えようという努力が無ければ,それを見た製作者が間違ったりしても当然の結果となる。
 このことは何も図面に限った事ではない。



 考えてみれば,世の中で成功している人に共通して言えるのは,ポリシーや哲学がはっきりしていて,多少の不都合があってもそれを貫く強さがあるという事ではないだろうか。意外な事だが,人間何をやったかではない。どのようにやり遂げたかが,最終的には結果に結びついている事が多い。
 いくら難しい事をやっていても,目的やポリシーがはっきりしていなければ,それなりのものしか出来ないし,大した評価も得られない。逆に作っているものは単純そうに見えるものでも,そういった姿勢を貫き通すのは難しい事だ。そして,最終的にいい結果につながり,長く評価されているという例は多いものである。

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